45 大石吉雄が山科の

本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車いただきありがとうございます。

 

鐵道唱歌 東海道 四五

 

大石吉雄が山科の

その隱家はあともなし

赤き鳥居の神さびて

立つは伏見の稻荷山

 

 

おほいしよしをがやましなの

そのかくれがはあともなし

あかきとりゐのかみさびて

たつはふしみのいなりやま

 

 

膳所駅から京都駅までは、鉄道唱歌が出版された明治33年当時、現行ルートとは違ってました。

明治時代はトンネル掘削技術の限界もあり、東山を避けて現行ルートより南側を通っておりました。全長664mの逢坂山トンネルを抜けて京都市街の南側に出て、現在の奈良線(稲荷~京都間)を通って京都に向かってました。

 

しかしこのルートは急勾配があり、非力な蒸気機関車では輸送量に対応できなくなってきました。

このため全長1865mの東山トンネルおよび2325mの新逢坂山トンネルが掘削され、大正10年に現行ルートに改められました。

 

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≪現在の山科駅鉄道唱歌出版時の山科駅はここより南の旧線上にありました)

 

赤穂四十七士を率いた大石吉雄、一般には「大石内蔵助」(おおいしくらのすけ)と呼ばれています。松の廊下刃傷事件のあと山科に移り住み、討ち入りの計画を練ったといわれています。

「あともなし」だったこの地に昭和10年大石内蔵助を祭神とした大石神社が建立されました。

 

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伏見稲荷大社≫(京都の無料写真素材より)

 

 奈良線稲荷~京都間が当時の東海道本線なので、鐵道唱歌にもこの沿線の伏見稲荷大社が歌われています。

 伏見稲荷大社は全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本社です。赤い鳥居が並ぶ千本鳥居は有名で多くの参拝客が訪れます。

 

 
 

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