本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車いただきありがとうございます。
大石吉雄が山科の
その隱家はあともなし
赤き鳥居の神さびて
立つは伏見の稻荷山
おほいしよしをがやましなの
そのかくれがはあともなし
あかきとりゐのかみさびて
たつはふしみのいなりやま
膳所駅から京都駅までは、鉄道唱歌が出版された明治33年当時、現行ルートとは違ってました。
明治時代はトンネル掘削技術の限界もあり、東山を避けて現行ルートより南側を通っておりました。全長664mの逢坂山トンネルを抜けて京都市街の南側に出て、現在の奈良線(稲荷~京都間)を通って京都に向かってました。
しかしこのルートは急勾配があり、非力な蒸気機関車では輸送量に対応できなくなってきました。
このため全長1865mの東山トンネルおよび2325mの新逢坂山トンネルが掘削され、大正10年に現行ルートに改められました。
≪現在の山科駅≫ (鉄道唱歌出版時の山科駅はここより南の旧線上にありました)
赤穂四十七士を率いた大石吉雄、一般には「大石内蔵助」(おおいしくらのすけ)と呼ばれています。松の廊下刃傷事件のあと山科に移り住み、討ち入りの計画を練ったといわれています。
「あともなし」だったこの地に昭和10年、大石内蔵助を祭神とした大石神社が建立されました。
奈良線稲荷~京都間が当時の東海道本線なので、鐵道唱歌にもこの沿線の伏見稲荷大社が歌われています。
伏見稲荷大社は全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本社です。赤い鳥居が並ぶ千本鳥居は有名で多くの参拝客が訪れます。
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