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世界にその名いと高き
馬關條約結びたる
春帆樓の跡とひて
昔しのぶもおもしろや
せかいにそのないとたかき
ばくわんでうやくむすびたる
しゆんぱんろうのあととひて
むかししのぶもおもしろや
「春帆楼の跡」とありますが、春帆楼は当時も今も普通に営業しております。
下関条約(日清両国講和条約)が締結された場所であり、またふぐ料理の公許第一号店としても知られています。
≪春帆楼/左奥が本館、右手前は日清講和記念館≫
日清戦争の終結を受けて日本と清との間で下関条約(日清両国講和条約)が結ばれました。
この条約の第一条により、清国は朝鮮が「完全無欠なる独立自主の国たること」を認めることになりました。
当時、日本としてはロシアの南下が安全保障上の脅威でありました。朝鮮半島にロシアが侵攻し軍港が造られますと、日本はロックオンされた状態になります。
これを防ぐため、朝鮮は清の属国から離れて、独立国として自立してほしかったのでした。
≪春帆楼敷地内の記念碑≫
しかし朝鮮の事大主義は変わることなく、戦後は清から戦勝国の日本に事大先を乗り換えましたが、露独仏の三国干渉のあとは事もあろうにロシアに事大し、結局、日本はロシアを相手に日露戦争を戦う羽目になってしまったのは、また後のお話。
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