68 疋田柳瀬中の郷

本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車くださいましてありがとうございます。

 

鐵道唱歌 北陸地方 六八

 

疋田柳瀬中の郷

すぎゆく窓に仰ぎ見る

山は近江の賤が嶽

七本鎗の名も高し

 

 

 

ひきたやながせなかのがう

すぎゆくまどにあふぎみる

やまはあふみのしづがたけ

しちほんやりのなもたかし

 

鉄道唱歌の時代(明治33年に所版が出版)はこの辺りでは現在と全く違ったルートをたどっていました。

「疋田」「柳ヶ瀬」「中ノ郷」はいずれも旧線にあった駅です。

 

現在の新疋田駅の少し手前で現行のルートを離れ、現在の福井・滋賀県同140号線(敦賀柳ヶ瀬線)・国道365号線に沿って木ノ本駅の少し手前で現在の北陸本線に合流していました。

 

しかし明治17年に開通したこの線路は急勾配とトンネルが連続していました。特に県境に掘られた、当時としては桁外れの長大トンネルであった1352mの柳瀬トンネルでは、煤煙に悩まされました。

昭和に入り機関車が大型化してからは、口径の小さい明治初期の長大トンネルでの煤煙問題は深刻で、昭和3年には貨物列車がトンネル内で空転して停止し、多量の煙に巻かれた乗務員3名が殉職する事故も起きています。

 

交流電化された全長5170mの深坂トンネルが掘られて現在のルートに変わったのは昭和32年のことでした。

従来の旧線は柳ヶ瀬線となり気動車によるローカル輸送のみ続けられていましたが、昭和39年に廃止されています。

 

 

 

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新疋田駅

 

琵琶湖と余呉湖を分ける、標高421mの賤ケ岳。天正11年(1583年)、羽柴秀吉’(豊臣秀吉)と柴田勝家が戦いました。明智光秀によって殺された織田信長の後継を巡っての争いでした。

これに勝利した秀吉は信長が築き上げた勢力を継承し、天下人への第一歩を踏み出しました。

 

≪賤ケ岳古戦場≫(写真ACより)

 

この時、功名を上げた7人の武将(脇坂安治片桐且元平野長泰福島正則加藤清正糟屋武則・加藤喜明)を、後世に「賤ケ岳の七本鎗」というようになりました。

 

 

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みをきんのうに  ほうたいこうの

 
 

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