9 共仁の都の跡と聞く

本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車くださいましてありがとうございます

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 九

 

共仁の都の跡と聞く

加茂を出づれば左には

木津川しろく流れたり

晒せる布の如くにて

 

くにのみやこのあとときく

かもをいづればひだりには

きづかはしろくながれたり

さらせるぬののごとくにて

 

 

恭仁京跡は加茂駅から加茂川を挟んで対岸側に位置しています。

 

奈良時代の都は平城京に置かれていましたが、聖武天皇の御代、天平12年(740年)に恭仁京に遷都されました。しかし天平15年(743年)に紫香楽宮に遷都され、難波京を経て天平17年(745年)に平城京に戻っています

 

 

関西本線車窓 木津川≫

 

関西本線は私鉄の関西鉄道が建設した路線で、大坂~名古屋間の都市連絡が目的でした。関西鉄道の時代は官鉄(国鉄)の東海道本線と熾烈な乗客獲得合戦を行っていました。

そのころの関西鉄道は今とは比べ物にならないほど盛況していたと思われます

 

明治40年の国有化後は名阪間のメインルートは東海道本線とされ、関西本線は冷遇されました。

現在、加茂~亀山間は、小型の気動車が1時間に一本程度走るだけの閑散ローカル線となっています

 

≪加茂駅 単行で関西本線を走るJR西日本の小型気動車



 

     くにのみやこの
きょうとのみちに   かわのあなたに

 
 

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