52 熊本城は西南の

本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車くださいましてありがとうございます。

 

鐵道唱歌 山陽、九州 五二

 

熊本城は西南の

役に名を得し無類の地

細川氏のかたみとて

今はおかるゝ六師團

 

 

 

くまもとじやうはせいなんの

えきになをえしむるゐのち

ほそかはうぢのかたみとて

いまはおかるゝろくしだん

 

熊本城は加藤清正が築城し1606年(慶長5年)に完成しました。1632年(寛永9年)に加藤氏は改易され、細川忠利が肥後54万石の領主となり、以後熊本城は細川氏の居城となりました。

 

明治維新後は陸軍が接収しました。

西南戦争においては官軍の拠点となり、4000人の籠城で西郷軍14000人の攻撃に耐え撃退しました。西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとです」と嘆いたそうです。

 

明治21年には陸軍第六師団の司令部が天守台に置かれました。

 

 

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≪修復工事中の熊本城(令和2年6月撮影)≫

 

明治10年2月19日、西郷軍の総攻撃の二日前、原因不明の出火により天守閣は焼失しました。昭和35年、鉄筋コンクリート天守閣が再建されました。

平成28年熊本地震により、天守閣のほか櫓や石垣などが被災しました。現在修復工事が進められています。

 

 
 

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ねむるまもなく  まちのめいしょは

 
 

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