62 車輪のめぐり速に

本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車くださいましてありがとうございます

 

 

鐵道唱歌 奥州線-磐城線 六二

 

車輪のめぐり速に

千住大橋右に見て

環の端の限なく

ふたゝびもどる田端駅

 

 

しやりんのめぐりすみやかに

せんぢゆおほはしみぎにみて

たまきのはしのかぎりなく

ふたゝびもどるたばたえき

 

常磐線は都心に入り、荒川を渡って北千住を過ぎると隅田川を渡ります。そのすぐ上流にかかる千住大橋を車窓から見ることができます。

 

最初の架橋は徳川家康が江戸に入府後間もない文禄3年(1594年)のことで、隅田川にかかる最初の橋でした

その後改架・改修が幾度も行われ、明治19年に二重の太鼓橋様式の木橋として架橋されえました。作詞者の大和田建樹が見ていたのはこの橋だと思われます。

現在の橋は昭和2年に架橋され、タイドアーチ橋としては日本最古のものだそうです。

 

 

常磐線車窓・隅田川、右手に見える千住大橋

 

常磐線三河島を出ると、大きく左にカーブして日暮里駅で東北本線に合流し上野・東京方面へ向かいます。

しかし鉄道唱歌の時代(明治33年に初版が出版)は三河島付近をまっすぐ進み、田端駅で東北本線の下り方面へ合流してました。

これは常磐線の建設目的が元々は常磐炭田から産出する石炭の輸送だったからで、貨物列車は田端から赤羽まで行き、現在の赤羽線・山手線(赤羽~池袋~品川)を通って東海道本線へと運ばれていました。

 

当時、上野発着の常磐線旅客列車は、田端でスイッチバックしていたそうです。

しかしこれでは不便なので、明治38年に現在の路線が開通しました。当時の路線は現在は田端貨物線となっています。

 

 

≪田端貨物線・かつてはこの線路が常磐線の本線だった≫

 

 

≪田端駅で東北本線に合流する田端貨物線≫





 

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