61 松戸を降りて国府の台

本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車くださいましてありがとうございます

 

鐵道唱歌 奥州線-磐城線 六一

 

松戶をおりて國府の臺

ゆけば一里に足らぬ道

眞間の手兒名が跡といふ

寺も入江ものこるなり

 

 

まつどをおりてこふのだい

ゆけばいちりにたらぬみち

まののてこながあとといふ

てらもいりえものこるなり

 

国府台は松戸駅の南にあり、古代下総国国府があったところです。

その先に手児奈の伝説が残る真間山弘法寺があります

 

手児奈というのはこの地に住んでいた美しい女性です。その美しさのため手児奈のことを想って病気になるものや手児奈を取り合って醜い喧嘩するものまでいました

手児奈は「わたしの身体は一つしかありません。誰かと結婚すればほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。わたしが居なくなれば喧嘩も無くなるでしょう」

と言って、入江に入水して果てたということです。

 

天平9年(737年)行基が手児奈の話を聞き、「求宝寺」を建立し手児奈を弔いました。その後弘仁13年(822年)、弘法大師が境内を整備し「弘法寺」(ぐほうじ)と改称しました

 

 

≪手児奈神霊堂≫(写真ACより)

歌詞には「真間の手児名が跡という 寺も入江ものこるなり」とありますが、寺の方はこうして調べてわかりましたが、入江の方はよくわかりません。当時は現在よりも入江が内陸側に入り込んでおり、手児奈神霊堂の近くを流れる真間川あたりが当時の海岸線らしいです。





 

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