56 線路分かるる三角港

本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車くださいましてありがとうございます。

 

鐵道唱歌 山陽、九州 五六

 

線路分るゝ三角港

出で入る船は絕えまなし

松橋すぎて八代と

聞くも心のたのしさよ

 

 

せんろわかるゝみすみかう

いでいるふねはたえまなし

まつばせすぎてやつしろと

きくもこゝろのたのしさよ

 

宇土駅からは三角線が分岐し、三角港まで通じています。三角線の開通は鉄道唱歌出版の前年、明治32年です。

 

 

 

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 ≪宇土駅三角線で運行される観光列車「A列車で行こう」≫

 

 

熊本沖の有明海は遠浅の海であり、大型船の着岸には難がありました。このため三角港が建設され、かつては国際貿易港として繁栄していました。

 

三角港は東港と西港に分かれています。

まず整備されたのは西港でした。しかし西港は背後に山が迫り敷地の拡張に難があったので、後に東港が整備されました。

鉄道(三角線)は東港までを結び、西港まではいきませんでした。

 

こうして西港は発展から取り残されました。しかしこのため、西港は明治期の港湾の様子がそのまま残り、「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました

 

 しかし戦後は熊本港も改良が進み大型船も入港できるようになり、東港も衰退しました。現在は天草への高速船や地元離島への航路が発着するだけとなっています。

 

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三角西港・明治時代の石積み埠頭≫(キロクマ!より)

 

当時は鹿児島本線の終点は八代でした。

 

鹿児島本線が鹿児島まで全通したのは明治42年のことです。ただしこの時は、現在の肥薩線日豊本線(八代~人吉~吉松~隼人~鹿児島)を経由して鹿児島まで結んでいました。

八代海沿いの路線(八代~水俣~出水~川内~鹿児島)が開通したのは昭和2年でした。このうち八代~川内間は新幹線の開業に伴い第三セクター化され、肥薩おれんじ鉄道となっています。

 

 

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八代駅

 

 

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