41 津軽の瀬戸を中にして

本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車くださいましてありがとうございます。ただいま青森です。

 

鉄道唱歌 奥州線‐磐城線 四一

 

津軽の瀬戸を中にして

凾館までは二十四里

ゆきかふ船の煙にも

國のさかえは知られけり

 

つがるのせとをなかにして

はこだてまではにじふより

ゆきかふふねのけむりにも

くにのさかえはしられけり

 

青森から函館への定期航路は、明治5年の北海道開拓使による郵便物輸送に始まります。翌明治6年には北海道開拓使による一般輸送が開始され、同年には民間による航路も開設されました。

鉄道唱歌が出版された明治33年には、日本郵船株式会社による定期航路が旅客や貨物を北海道へと運んでいました。

 

東北本線を建設した私鉄の日本鉄道は直営の青函航路開設を計画し、国有化後の明治41年鉄道連絡船としての青函航路が開設されました。

 

 

≪青森港に係留されている青函連絡船「八甲田丸」≫

 

青函連絡船国鉄からJR北海道に引き継がれ、多くの旅客や貨物を北海道へ、本州へと運んでいきました。

青函連絡船は昭和63年に青函トンネルの開業により廃止されました。

 

現在は「津軽海峡フェリー」と「青函フェリー」の2社が青森~函館間の定期航路を運航しています。

 

 

≪八甲田丸の展望台から望む津軽海峡



 

      つがるのせとを
いさむふえのね  きしゃのりかえて

 
 

      のりかえ
 
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