67 前は海原はてもなく

本日も鉄道唱歌の話にご乗車いただきありがとうございます。

 

鐵道唱歌 山陽、九州 六七

 

前は海原はてもなく

外つ國までもつゞくらん

あとは鐵道一すぢに

またゝくひまよ靑森も

 

 

まへはうなばらはてもなく

とつくにまでもつゞくらん

あとはてつだうひとすぢに

またゝくひまよあをもりも

 

日本の西の果ての長崎港。そこは海外に開かれた窓口でした。

鉄道唱歌が出版された明治33年当時、蒸気船が煙を吐きながら出入港し、街には外国から来た商人や外交官でにぎわっていたことでしょう。

目の前の海は、遠く西欧諸国や米国までつながっていました。

 

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≪長崎港≫

 

 一方、後ろを振り返ると、長崎駅。そこには蒸気機関車が煙を吐きながら発着していました。

国内では鉄道建設が進み日本中にネットワークが構築されていました。上野から青森まで鉄道が開通したのは明治24年のことです。

 

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長崎駅

 


 

      まえはうなばら
わがかいこうを  あしたははなの

 
 

      のりかえ
 
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